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岡 康道 吉田 望 宣伝会議 2002-11 おすすめ平均 |
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まだ、途中ですけど。
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上のamazonのレビューにある「企業は広告のために存在するのではない。」というのは、確かにそんなことを言いたくなる本ではあります。
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しかし、そんな中でも、「症例9 クリエイティブディレクターがいない病」は、そのタイトルとは裏腹な悩みもあって面白いです。<br />CM制作において、クリエイティブディレクターとCMプランナーというのは、SIにおけるプロマネとプログラマーに近いようです。<br />で、タイトルは、プロマネ必要だよね、と言いながら、本文では、優れたプロマネは優れたプログラマーを抱えている、とか、プロマネ=プログラマーの時代だとか、強力なプログラマーがいるときはプロマネは方向性を示せないし、示してできるような仕組みにもなっていないとか、独立してプロマネとしてお金をとるようになって僕は何をやるべきなのか自問自答せざるを得ない、とか、すごく共感できるところでの悩みが書かれています。<br />もう少し企業との関係で続けると、大企業の中ではプロマネというのは見せかけの役割であって、それに意味を持たせていくには直接契約でクライアントと直接接しないと、とか、ディレクションというのはコストであって利益源として見なされていないが、利益源とすると個人差が見えすぎてしまうからだろうとか。<br />最後のところは重要だと思います。知的生産というのは仕事をする人としない人の差が100対1とかゼロ対無限大とかになってしまう(弾さんもよく書いていますね)のに、それを前提とした処遇とかシステムとかになっていないので、職業が真の意味で知的になっていかない、と書かれており、考えさせられます。<br />この方向でも考えさせられる(工数というモノの捉え方とか)のですが、逆に、そんなに違うのだろうかという意味でも考えさせられます。よい広告と悪い広告で売れ行きが100倍違うということはあるでしょう。しかし、クライアント会社が電通に対して払うお金は多分よい広告でも悪い広告でもそんなに違わないでしょう。どこかでならされてしまっているのでしょう。そして、均すことで裾野を広げておかないと、大ヒットも出せないのでしょう。難しいところだと思います。
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最後に知的生産物に対する対価の得かたとして、モノに対する値段のように一括でもらうのではなく、使用料として毎月いくら、のサービス型がよいのではという話が出てきます。この考え方はこういう話には必ず出てくる話なので、忘れないようにしておかないといけないかなと思います。
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こんな感じで、ちょっと違う分野でも同じような話がされるということは、これも一種のパタンですね。
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